坐禅と呼吸

ベストセラーとなった『声に出して読みたい日本語』の著者、齋藤孝氏(明治大学教授)は身体論の立場からさまざまな提言を行って注目されておりますが、特に「現代人は全体的に呼吸が浅くてストレスをため込む容量が少ない、だから自分にとって嫌なこと、不快なことを受け止めきれずすぐ溢れてしまう、それをキレル、、、というのではないか」との指摘は、私たち禅僧の立場からも見過ごすことのできない重要な課題を含んでいると思います。

呼吸と心の動きとは密接に結びついている

「息」という字が「自らの心」で成り立っているように、呼吸と私たちの心の動きとは密接に結びついています。不安や心配ごとを抱えた時、怒ったり泣いたりした時には、知らずのうちに胸で浅い呼吸をしていますし、また「あうん阿吽の呼吸」とか「気が合う」と言うように、私たちは人と接しているとき、無意識のうちに呼吸のやり取りをしているものです。例えば嫌な人と顔を合わせていて、次第に息苦しくなってしまったような覚えはどなたにもあると思います。そんな時に意識的に深い呼吸を繰り返すと、自然と気持ちが静まってくることも、また経験済みでしょう。

呼吸は生きる上での心構え

一般には呼吸は吸うものと思われがちですが、東洋の呼吸は文字通り出して入れることを基本としています。下腹を絞るようにしてゆっくりと鼻から息を吐き、吐き切る寸前にお腹を緩めれば横隔膜が下がり、肺も充分に拡がって自然と新鮮な空気が入ってくるのです。このような深い呼吸(具体的な目安として三秒で吸って、二秒溜め、十五秒で吐くという一分間に三回のリズム)は丹田呼吸と呼ばれ、腰や下腹を充分に使わないとできないものですが、私たち日本人にとってはごく自然に馴染んできたものでした。そしてそれは単に呼吸だけにとどまらず、臍下丹田のいわゆる〈はら肚〉に自分の身心の中心があるという考え方にも通じるもので、「肚のできた人」、「肚を割って話す」などの表現でも分かるように、生きる上での心構えの核心をなしていたともいえましょう。

深い呼吸による《充実した沈黙》

しかし今、年代を問わず丹田呼吸そのものを知らない人が確実に増えてきています。理由は様々でしょうが、このような深い呼吸を意識する人は少なくなったと実感させられます。呼吸が浅いというのは、絶えず不安を抱えているような、重心の定まらない浮き足立った感じを連想させますが、ちょっとでも気に入らないことがあると、肚にある〈堪忍袋〉に収めるのではなく、すぐ「頭に来た」と言ってキレルのは若者ばかりではありません。

最新の研究では、ゆったりした深い呼吸などのリズム性の活動は、体の感覚を研ぎ澄ましたり、攻撃性を抑えたりするセロトニン神経系の働きを活性化し、さらには自己免疫力を高めるともいわれています。実はこの深い呼吸を意識的にかつ積極的に行ってきたのが坐禅なのですが、坐禅といえば、常人には近寄りがたい《修行》といったイメージが先行してしまってか、どうしても敬遠されがちです。長年培ってきた、呼吸を調えれば(調息)おの自ずから心も調う(調心)とする坐禅の智慧が活かされていないのは誠に残念なことです。そのうえ畳から椅子へと生活様式も変化していますから、「坐る」ことにはなおさら抵抗があるのでしょう。ですから坐を組む(調身)ことにこだわらなくても、このように呼吸法という視点から坐禅を説いてみると、案外身近に感じていただけるのではないでしょうか。

釈尊は「自灯明」といって「よく調えられた自分こそ、自分の頼るべきもの」と諭されています。現代社会の過剰なまでの情報の波に翻弄されないためにも、ゆったりとした、まろやかな深い呼吸による《充実した沈黙》のなかで、自らの体と心の中心点を臍下丹田に感じ取って、自分の依って立つ場を見出していただきたいと思います。

普門庵住職  見城宗忠

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