普門庵は地域住民が長年大切に護ってきた三間四方の「観音堂」が母体の小さなお寺です。いっとき廃寺になっていましたが、平成になって復興され臨済宗大徳寺派に所属しています。
稲城は都心に近く利便性も高いのに、里山や畑がまだ多く残っています。多摩ニュータウンに隣接していることもあって地方から移り住んだ方々が多いので、菩提寺もなく仏事に不安を抱いて居られる皆さんにとって、いざという時頼りになる「かかりつけのお寺」でありたいと願っております。また「普門」とは普く門戸を開くという意味で、その名に恥じないようにと、坐禅会や「かんのん劇場」など様々な活動を行っております。
・観音堂の建立 延宝8年(1680)
品川・東海寺(三代将軍家光の帰依を得て沢庵禅師が建立)の塔頭、桂昌院(後に定惠院と改称)第三世拙堂宗清和尚(惠日定光禅師)の道風を慕った大丸の地頭、朝倉織部正豊が当地に観音堂を建立、寄進する。以後地元民の篤い信仰心によって無住の観音堂が維持されてきた。
・道環和尚の遺徳 昭和30年頃(1955)
当時の東海寺住職の勧めにより高村道環(秋田出身)が夫人と共に堂守に入る。爽やかでおおらかな禅風で布教接化につとめ、地元民のみならず広く人望を集める。また書家としても個性的な書を遺している。
・再興計画はじまる 昭和50年頃(1975)
この頃より多摩ニュータウンの開発が進み、普門庵の寺領の一部が買い上げられた。その収用代金を使っての普門庵再興計画が、東海寺住職大嶽義方老師(当時)によって始められた。その途上で道環和尚68歳で急逝。
・普門庵の再興 平成元年(1989)
大本山大徳寺より本派五等地の寺班承認を受け、同時に東海寺徒弟、見城宗忠に住職辞令下る。平成2年 3月、東京都知事より宗教法人の認証を受ける。直ちに法務局に於いて法人登記完了。これによって普門庵の再興なる。
【住職の自己紹介】
普門庵住職:見城 宗忠(けんじょう そうちゅう)
昭和31年静岡市生まれ。早稲田大学在学中に、縁あって品川・東海寺に居候。大嶽義方住職(当時)の枯淡な生き方に感化され、禅道を歩むべく卒業と同時に京都・南禅寺専門道場に入門。足かけ10年あまりそこで日を送る。平成元年、普門庵の住職に就任、現在にいたる。
いつでも受け容れてくれるバッハの音楽ををこよなく愛し、日々欠かさず耳傾けている。
普門庵までのアクセス
〒206-0801 東京都稲城市大丸857
最寄り駅はJR南武線・南多摩駅徒歩10分
駐車場もございます