現役住職が語る「お葬式セミナー」

◎はじめに
私は10年ほど前から近隣住民を対象に『現役住職が語るお葬式セミナー』を年数回開催してきました。新聞折り込みチラシで広報するのですが、毎回10名の定員はすぐ一杯になり、中には何回も参加する方もいて、関心の高さがうかがえます。
ある時、枕経の後で葬儀社との打ち合わせに同席する機会がありました。専門用語の多いお葬式費用の仕組みがよくわからず、担当者の言いなりになるしかない家族の横で、何も言えない自分が恥ずかしくなりました。導師としてただお布施を頂くだけでいいのか、なにかご家族の手助けが出来ないだろうかと思いました。そして「知っているようで案外知らないお葬式」のあれこれを学び、このセミナーを始めたのです。

◎孤立化するお葬式
お葬式はかつては地域の一大イベントとして相互扶助で営まれてきました。しかし生活の都市化と共に近隣との関係が希薄になり、「村八分」という言葉はすっかり死語となりました。その結果遺された家族自身が当事者となって事をすすめなければならなくなってしまったのです。身内を亡くしたかなしみと慌ただしさの中で、知識も経験も乏しいのに短時間での選択と決断を迫られます。相談する人もないので、結局は葬儀社に「お任せします」となってしまうのもやむを得ません。そしてお葬式が終わってから送られてくる請求書をみて、愕然とするというケースは珍しくありません。
こうした事情から、近年メディアでは様々なお葬式情報があふれています。しかしその情報も専ら「いかに安く」とか「戒名料はいくらか」といった金銭面でしか語られていないのが現状です。そしてお葬式の九割以上が仏式で行われているにもかかわらず、これらの情報には寺院側からの発言は殆どありません。そのためにかえって不安をあおり、ひいてはお寺や私たち僧侶に対する不信感を助長しているように思えます。
お葬式は見方を変えれば具体的なものが殆ど残らず、返品も交換も出来ない「高額商品」です。ですからこのセミナーでは、まず固定費や流動費といった「お葬式費用の内訳」や「葬儀社選びのポイント」など、商品としてのお葬式を学びます。同じような内容のお葬式でも葬儀社によってその価格に大きな開きがあること、互助会は「お葬式の青田刈り」のようなもので、デメリットも多いことなどをお話しします。

◎お葬式は遺された者のために
そもそも人はなぜお葬式をするのでしょうか。大事な人を失って悲嘆に暮れる遺族は、心に空いた場所をどうやって埋めていったらよいのか、これからの生活はどうなるのかといった様々な不安を抱えています。そこに枕経、通夜、葬儀、告別式などの儀式というしっかりした「かたちあるもの」を与えることによって、動揺を抑え不安をやわらげる事が出来ます。つまりお葬式は遺された人たちが大切な人の死を受容するための重要なプロセスなのです。このプロセスを経ないと人の心はいつまで経っても不安や執着を抱えることになり、これは危険なことでもあります。また後に続く中陰法要も、本来は遺族がその悲しみから立ち直れるように支援するグリーフケアとして考え出された、先人たちの智慧ではないかと思います。
◎「二人称の死」に学ぶ
お葬式はまた、自分と人生や生活を共にした人(二人称)の死を通して自らの生き方を見つめ直す、人間だけに与えられた大事な機会でもあります。私たちはお金や地位、名誉が幸せとの思い込みからなかなか抜けきれず、それらを人と競い合って一喜一憂しています。しかし手に入れたものは死ぬときには何ひとつ持って行けません。この身体すら捨てなければ死なせてもらえないのですから、手に入れることを生きる目的とする限り、不安や不満はついて回るでしょう。「二人称の死」に学ぶとは、既に充分与えられている事に気づかず、ナイモノねだりをしている日頃の自分の生き方を、「棺桶の中からの視点」で見つめ直すということなのです。この理念をしっかり抑えていれば、たとえ花一輪手向けるだけのお葬式であっても、 遺された人たちにとって意義深いものとなるのです。

◎揺らぐ檀家制度
ところで「宗」という字はイエを表すウ冠とカミを表す示偏とから成り、家の祖霊を意味すると言います。そこから日本での「宗教」は先祖崇拝として定着してきました。人は死ねば一定期間、子孫の追善供養を受けることでご先祖になること、あるいは人は死んでも遠くには行かず、盆や正月には子孫を訪ねることも出来ると信じられていました。この先祖崇拝の上に仏教的色彩を施したのが「葬式仏教」です。つまり多くの日本人は「葬式仏教」によって、死後の安心を得られるようになったのでした。
しかし戦後の民法改正により家制度が無くなって七十余年、しかも急激な人口減少と核家族化によって、日本仏教の土台であった「家」が揺れ動いています。未婚化や少子化によって墓を継続できない世帯が増えています。また核家族で仏壇が無ければ先祖に見守られているという感情は育ちにくいでしょう。しかしお寺の側はそこに気づかず、旧来の「葬式仏教」で縛ろうとしているのです。
さらにお葬式が自宅やお寺からセレモニーホールに移り、葬儀社が主導権を持つようになってしまったことも見逃せません。予め決められた流れの中で、語るべきを語らずただ通り一遍にお経を唱えるだけでは、お寺の存在感はますます薄れてしまい、人々はそこに納得できる意味を見いだせないのです。このような状況が「直葬」や「墓じまい」さらには「寺離れ」を招いているのではないでしょうか。これは檀家制度への警鐘です。ですから「葬式仏教」の意味を改めて問い直し、今を生きる人たちの心に響くお葬式や法要を提案していかなければならないと思います。

◎おわりに・・・かかりつけのお寺
セミナー参加者の多くはこれまで殆どお寺との付き合いは無いのですが、「納得できるお葬式をしたい」と思っている方々です。ですから「働き盛りの時には考えてもみなかったお葬式だが、いざとなるとさてどこに相談したらいいのかわからない。解説本を読んでも葬儀社の事前相談を受けてみても何か今ひとつピンとこなかったが、このセミナーでようやく本音のこと、うなづける話が聞けた」という感想をよくいただきます。そしてありがたいことに、宗旨にこだわらない参加者から「臨済宗でお願いします」と葬儀や法事を依頼されることが少しずつ増えています。
このセミナーを通して個人の意思で選ばれるお寺、いざというときに頼られる「かかりつけのお寺」でありたいと思っています。

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