唐突ですが、皆さんは悪いと知って犯す悪事と、悪いと知らずに犯す悪事では、どちらの方が罪深いと思いますか。通常は知った上で犯す方が罪深いと考えられていますから、知らずに悪を犯したほうが情状酌量されるようです。しかし私は知らずに犯すほうがより罪深いと思います。なぜなら悪いと知って犯す場合、そこにはほんの少しであってもためらいがあるはずであり、そのためらいが反省のきっかけになり得るからです。ところが知らずに犯してしまう悪にはためらいがありません。ですから「えっ、何が悪いの?」と自らが悪を犯していることに気づかないので聞く耳を持ちません。つまり悪事の自覚の無いところには反省はうまれてこないのです。しかもこのような人に限って善人面をしているだけに余計に厄介です。
そこでさくら騒動です。これはどう贔屓目に見ても税金を使った行事の私物化です。似たような場面はここ数年立て続けに何回も見せつけられてきました。そのたびに自分たちの権益を守るための辻褄合わせの詭弁を聞かされました。「朝ご飯を食べたか」と聞かれて「パンは食べたがご飯は食べてない」といってはぐらかし(これを「ご飯論法」と言います)、木で鼻を括ったような返答しかしない姿勢には、謙虚さや誠実さの微塵も感じられません。緊張感のまるで無いこの態度は、国民を見下している証拠なのでしょう。やましいことがあるからいろいろな資料(これは国民の共有財産です)を消去してしまったと考えるのが普通だと思いますが、もし為政者たちに悪事を犯している自覚が無いとしたら、それは大変恐ろしいことだと思います。道徳は為政者の都合の良いように時代と共に変わりますが、「嘘つきは泥棒の始まり」といった倫理は世の中がどうであれ、絶対に護るべき人の道(倫)ではないでしょうか。今回の騒動のみならず、倫理観が欠如して底が抜けてしまったかのような為政者たちの振る舞いは、「今だけ、金だけ、自分だけ」の空気を助長します。そしてそれを目の当たりにさせられる私たちに、ある種のあきらめとしてボディーブローのようにジワジワと効いてくるのではないかと大変心配しています。決して忘れてはなりません。