年の瀬を迎えると喪中葉書が毎日のように届きます。以前にもここに書きましたが、私はこの葉書にはあまり感心しません。先ず亡くなった時点で誰にも知らせないのに、今更知らされてもなぁと言う思いになります。また「本年一月に父が亡くなりましたので云々」と言われても、形だけ喪に服しているようで心に響きません。更に「義姉の母親が・・・」と書かれると、果たしてどこまでが服喪の範囲なのか、もうわからなくなります。先に逝ったものは「会うものには別れがあり、生きている者には必ず死がある」事をその身を以て私たちに教えてくれたのです。喪に服するとはそれを真摯に受け止めて自らの足元を見つめ直し、これからの人生に思いを致すことではないでしょうか。ですから私は忌明けを済ませたのなら通常通りのおつき合いでよろしいと思います。実母を送った時には喪中葉書は出さず、年賀状は有り難くいただき、寒中見舞で事情をお伝えしたものです。
△ 日曜法話会 3日(日) 午後2時~
△ 土曜坐禅会 2日・16日 午前7時~
△ 日曜坐禅会 10日・24日 午前7時~
△ 暁天坐禅会 毎朝5時より6時まで
△ 写経会 12日(火)午後1時~
今 月 の 言葉
世俗の紅塵飛んで到らず
深山の雪夜草庵の中 【永平広禄】
人のこと我に向こう言う人は
さこそ我がこと人に言うらん 【古歌】