住友財閥の二代総理事を務め、別子銅山の興隆に貢献した伊庭貞剛は「事業の進歩発展にもっとも害をするものは、青年の過失ではなく老人の跋扈である」と語り、良き後継者を得たのち58歳であっさり総理事を辞したといいます。「老」には年長者なりの徳や見識を備えた人という尊敬の意味もあります。しかし伊庭には多くの老人は、駄々をこねておもちゃやお菓子を欲しがった子どもが、ただ年取ってねだるものが「名利」に変わっただけで、中味は相変わらずガキ(餓鬼)のままであると見えていたのでしょう。彼はまた「後継者を育てることが第一の仕事」とも言い切っています。禅の世界でも「師を超えてはじめて伝授するに堪えたり」と言いますが、役職や地位にしがみつき、自分を超えるような後継者を叩き潰すかのような「老害」は、晩節を汚す老醜と言えましょう。禅で理想とする「枯淡」も、また残念ながら風前の灯火です。
△土曜坐禅会 3日・17日 午前7時
△日曜坐禅会 10日・25日 午前7時
※都合で11日を繰り上げて行います
テキスト『正法眼蔵随聞記』
△暁天坐禅会 毎朝5時より6時まで
△写経会 13日(火)午後1時から
今 月 の 言 葉
桂輪孤り朗らかに碧天濶し 【圓覺序】
心をば水の如くにもちなして
方と円とを物にまかせん 【禅林世語集】