今日ではお葬式と一括りにされますが、本来は葬儀は宗教儀式であり、告別式は社会儀礼と全く別物です。ですから私はどんなに規模の小さなお葬式であっても、はっきりと区別して執り行っています。「葬」の字は台の上に屍を乗せ、その上から花を手向ける様子を表しているといわれます。その死者をそれぞれの宗教儀式によって送るのです。その仕方、考え方が様々な宗教宗派を生んだとも言えましょう。禅宗の葬儀では授戒や引導といった形がはっきりとしていますから、葬儀の形は崩せませんが、告別の席では個人の好きな音楽を流しながら焼香することもあります。彼の地の国葬は教会で宗教儀式の則った立派なお葬式でありました。そして出棺後の葬列を多くの国民が静かに見送って告別したのです。此の地の国葬はロックコンサートも行われる武道館で、急拵えの薄っぺらな祭壇の前で、一切の宗教色を排除して行われました。しかし宗教の無い葬儀など矛盾しています。ですからこれは葬儀ではなく、告別式というべき儀礼、いわばお別れ会というべきものでしょう。
△ 土曜坐禅会 1日・15日 午前7時~
△ 日曜坐禅会 9日・23日 午前7時~
テキスト『正法眼蔵随聞記』
△ 暁天坐禅会 毎朝5時より6時まで
△ 写経会 11日(火)午後1時から
今 月 の 言 葉
芭蕉葉上愁雨無し只是れ時の人聴いて断腸
政治を笑い、宗教を笑うことが出来るのは、とても倖せな社会である。 【釋徹宗】