先日訪れた埼玉の古い火葬場には四番と九番の火葬炉がありませんでした。50年前の静岡日赤病院には四階と九階も無かったと記憶しています。これは四=死、九=苦を連想するから忌み嫌うと言うことなのでしょう。でもそれを言ったら「一」は一番重い病気かもしれないし、「二」は二度と出られない、「三」はさんざんな目に遭う、「五」はご苦労さん、「六」はろくでもない「七」は難儀なこと「八」はやはりダメだったと何でもこじつけられます。縁起を担いで「良い目はみたい、憂き目には遭いたくない」と誰しも思いますが、良いこともそうでないことも自分が出会ったものはすべて受け入れる、それくらいの気構えが欲しいなぁと思います。因みに僧堂では暮れの餅つきを「苦餅」といって嫌われる二十九日に敢えて行っています。意味するところはもうおわかりですね?
△土曜坐禅会 14日・28日 午前7時より
△日曜坐禅会 8日・20日 午前7時より
※テキスト『正法眼蔵随聞記』(ちくま学芸文庫)
※ 坐禅レクチャー 1日(日)午前9時より 今年最後のレクチャーとなりますので、こぞってご参加下さい。
△暁天坐禅会 毎朝5時より6時まで
△写経会 10日 午後1時より
今 月 の 言 葉
到頭霜夜の月 任運前渓に落つ (碧巌録)
いづくへか帰る日近きここちして
この世のもののなつかしきころ (与謝野晶子)