いつの時代も何処の国でも春を待ち望む人の気持ちに変わりはないと思います。宋時代の載益という詩人は、ただ一首「探春」という詩のみでその名を残しています。意訳すると「一日中春を探してあちこち歩き回ってみたが何処にも春らしい風景を見ることが出来なかった/杖をつき山野の幾重にも重なる雲を踏み分けてが徒労に終わった/家に帰って何気なく梅の枝を把ってみれば(帰来試把梅梢看)/いつの間にか蕾みもふくらみ春の訪れを見せているではないか(春在枝頭已十分)」というものです。この詩は禅の思想を説くときによく用いられてきました。人は道を求めるのについあちこちと外に向かって探し回るけれど、本当に大切なものは自分の家、つまり日常の当たり前の中に既にあることに気づきなさい、ということなのです。寒風の中已に咲いている境内の梅を見て思ったことでした。
△ 土曜坐禅会 4日・18日午前7時~
△ 日曜坐禅会 12日 午前7時~ ※法務の都合で一回だけです
△ 暁天坐禅会 毎朝5時より6時まで
△ 写経会 7日(火)午後1時から
【今 月 の 言 葉】
玉は潤う窓前の竹 花は繁し院裏の梅
【禅林句集】
捨てるという仕方をつうじて学ぶ事柄は、
実はとても多い 【河本英夫】