はじめに・・・父の時
10年前父が他界したときは本人が用意していた互助会(神奈川県下では最大手のひとつ)を利用しました。式場も両親の住まう実家の近くにあり、交通の便も良かったので他の選択肢は考えませんでした。 何しろ初めての経験でしたし、お墓が公営霊園にあるので相談するお寺もありませんでしたので、すべて業者にお任せするしかありませんでした。 葬儀の打ち合わせに来た若い担当者は、売上高を出来るだけ多くしようとする意志が、そこかしこに感じられ、若干不快でもありました。しかし、葬儀の雰囲気や予定に押されてはっきりとした意思表示が出来ない状況でした。思い返してみれば、営業の言いなりにはならないと意を決して今したが、途中から変わったベテランの営業マンの手の上に乗せられてしまった感は否めません。 祭壇の飾り付けも家族と斎場(互助会自前の施設)を訪れて選択をして、担当者の勧める祭壇飾りから2ランク落としても、あの費用です。言いなりであれば、あと50万円ほど、またはそれ以上かかったかもしれません。ベテランの営業マンは、当方との契約を決めると次の葬儀担当に引き継ぎ、自分は次の営業に回っていったようでした。ですからこの担当者は自分が営業した葬儀には、実際には立ち会っておりません。
母の時
今回母が亡くなったときは、予めこの『お寺葬のすゝめ』を頂いていたので、すぐ住職さんに連絡しました。実は我が家のお宗旨は臨済宗ではないのですが、父の時の導師に疑念を抱いていた母は、生前に住職さんと顔合わせをして「私の時はよろしくお願いします」と、自ら依頼しておりました。宗旨が違うことについては本人も家族も、また親戚も納得していましたので、問題ありませんでした。これは霊園にお墓があることで可能だったと思います。 住職さんは母が独り住まいしていた横浜の実家まですぐ来てくれ、枕経をあげてくれました。そして「不慣れなことであれこれ心配でしょうが、これからお葬式終了まで導師としてしっかりお勤めしますから、安心して下さい」と言ってくださったので、家族一同ホッとしました。 実家に一番近い式場でということで、今回も父の時と同じ互助会の葬儀社を利用することになったのですが、枕経の後住職さんがそのまま業者との打ち合わせに同席してくれました。担当者は「住職さんもご一緒ですか?」と驚いた様子でしたが、今回は担当者が打ち合わせから葬儀まで、変わらずに通して面倒見てくれました。この方は人柄もよく、これは幸運でした。 また住職さんが、互助会の費用のすべてを明らかにしてくれて、その予算内で出来ることと、追加費用がかかることの内容、範囲が良くわかったことが選択の自由度を広げ、かつ対案を考える上で非常に有効でした。結果的に、安い費用でも良い葬儀が営めたと感じることが出来ました。
打ち合わせ内容
例えば葬儀社に支払う固定費用部分は低く抑え、その分、お返し、食事、見えないところの費用など、変動費部分の自由度を大きくするように考えました。具体的には次の通りです。 ①棺、骨壺、霊柩車のグレードを落とした。 棺はそれこそピンキリで、カタログで豪華なものを見せつけられ「最後の安らぎのお部屋ですから」などの営業トークを聞くと、つい心が動いてしまいました。そのとき住職さんが「大好きな着物を上から掛けてあげたら、お母さんにふさわしい棺になりますよ」とアドバイスしてくれました。生前の母は本当に着物が好きで、家族も着物姿の母以外は思い浮かばないほどです。そこで母が最後に縫い上げた着物を棺の上に掛けてあげることにしました。火葬場で、隣の大きな棺を見ると「やはり・・・」という感も無かったわけではありませんが、母好みの渋い色合いの着物に包まれ、趣味にしていた龍笛も一緒に納めた棺こそ、母にふさわしいと改めて思ったものです。 ②自作の遺影 遺影写真は家族で選んだ写真をパソコンで加工したうえ、母の好きな着物生地を背景に使いました。できあいの葬儀用写真ではなく、親族にも好評でした。 ③湯灌をしなかった。 業者からは頻りに湯灌を勧められました(費用は十数万円)が、病院ですでにして貰っていることと、前回父の湯灌のとき、家族が退出を求められたことが大きな要因です。なぜ家族が参加できないのだろうという不信感がありました。死に化粧は孫娘が施し、着付けや納棺は家族全員で行いました。 ④自宅で安置 葬儀社の霊安室は使わず、自宅で葬儀当日まで母を安置しました。この間に生前お世話になったご近所さんがお別れに来てくれました。式場への出棺時にもお見送りしてくれたのは嬉しかったです。 ⑤互助会の費用で使える祭壇はスタンダードでしたが、幸い親戚や友人から多くのお花を供えて頂いたので、全く見劣りしない立派な飾り付けが出来ました。
おわりに
『お寺葬のすゝめ』のとおり、住職さんが側にいてくれたことで、葬儀社の担当者が素直にこちらの希望を聞いてくれたように思います。また こちらが葬儀に対して知識を持っていると思われ、葬儀社主導の「あれも、これも」と勧めることはありませんでした。 何よりも「これで執り行う」と決めた時に、家族がそれを支持し、反対も唱えず(よく、これではみすぼらしい、親戚に顔向けできないなどあると聞きます)、一致協力し喪主を支えてくれたことにあります。これらを決めるに当たり住職さんの力添えのみならず、親戚、知人、友人等のご理解ご厚情をありがたく頂戴しました。多忙の中、電話通知だけで花を贈ってくれ、弔電、香典などの手配を下さったこと、無上の感激でした。皆様が母の葬式を温かく見守ってくれたこと、また父と同じ規模(葬儀社、式場も)にもかかわらず、結果的に約半分の費用で執り行えたことは『お寺葬のすゝめ』に依るところが大きいと 改めて感謝、御礼申し上げる次第です。
(2015年2月) ※Aさんのお話をもとにまとめたものです(住職)