先日亡くなった評論家、山崎正和氏の講演を学生時代に一度だけ拝聴したことがあります。演題は『鴎外 闘う家長』。もう40年以上も昔の話なので話の内容は殆ど憶えていませんが、軍人としても作家としても頂点を極めた鴎外は、逆に挫折を知らない事の不安を抱えて、それが創作意欲となった、といった内容でした。何よりも文章が頭に浮かんでくるような、きちんとした組み立ての明晰な講演であったことは、今でもとても鮮明に記憶しています。そしてこの「闘う」と言う言葉も、また私のなかに深く刻み込まれました。「戦う」がどちらかというと外向きなのに対して「闘う」は自分に向かっているように思います。曾てイチロー選手が現役時代のこと、首位打者争いの最中に「ライバルの打率が気になりませんか?」と記者から問われた時に「自分がコントロールできない他人の成績を気にしても仕方が無い。比べるべきは人と自分ではなく、昨日の自分と今日の自分だ」といった趣旨の発言をしていたように憶えています。人との競争ではなく、自分の裡に闘うものを持っているだろうかと、あらためて自戒しています。
△土曜坐禅会 5日・19日 午前7時
△日曜坐禅会 13日・27日 午前7時 テキスト『正法眼蔵随聞記』
△暁天坐禅会 毎朝5時より6時まで
△写経会 8日(火)午後1時から
【今 月 の 言 葉】
終日紅塵に走って自家の珍を失却す 【禅林句集】
世人は平常を厭いて新奇を喜ぶ 言うを知らずや、
天下の至って新奇なるは平常を過ぐるなしと 【明・李卓吾】