私はそれほど桜の花見には関心がありません。もちろん人並みにきれいだなとは思いますが、散った後の大変さを知っているだけにあまり浮かれる気分にはなれないのです。ところが今年は、ふと「あと何回この桜を見ることが出来るだろうか」と思ってしまい、美しい夜桜が心に浸み入りました。コロナ禍で花見を自粛している人もまだまだ少なくないのでしょうか。でも思うのです、我慢したその先に何が待っているの?と。アレもだめこれも我慢するのが人間らしい生き方とは思えません。せっかく我慢しても事故や天災で突然いのちを落とすことだって珍しくありません。人は生きている限りどのような喪失も避けることは出来ないのです。
詩人、茨木のり子は
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
このような清冽な言葉を遺しています。アタマの健康を取り戻しましょう。
コロナだけが危険ではないのです。
△ 土曜坐禅会 2日・16日 午前7時~
△ 日曜坐禅会 10日・24日 午前7時~
テキスト『正法眼蔵随聞記』
△ 暁天坐禅会 毎朝5時より6時まで
△ 写経会 12日(火)午後1時から
今 月 の 言 葉
風定まって花猶落ち 鳥啼いて山更に幽なり
【王荊公】
花を見よ色香も共に散り果てて
心なくても春は来にけり
【一休禅師】