平成二十三年三月十一日の東日本大震災以降、全国各地で揺れ続ける大地への不安と、目に見えぬ放射能の脅威は、直接被災していない私たちの生き方にも大きな影響を与えました。極限にまで進歩した科学技術の恩恵によって、根拠のない全能感に浸りきっていた私たちに、絶対に安心安全な生活などあり得ないこと、どんなに大切な人とも必ず別れが来ることを改めて思い知らせたのです。
良寛は自らが大きな地震にあった時、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。」と友人に書き送っています。「災難に逢ったら、それから逃げ出そうとせずに、災難に直面するがいい。死ぬ時がきたら、ジタバタせずに死ぬ覚悟をするがいい。これこそ災難をのがれる妙法なのだ」というのです。
この言葉はともすると「投げやりのススメ」と誤解されがちなのですが、本当は佛教の根本義である「今を最大限に生きる」ことを説くものなのです。災難や死に直面したとき「ああしておけばよかった」と過去を振り返って愚痴を言っても「こうなってくれないかな」といたずらに未来を夢みても仕方のないことです。苦しい状況におかれたときには、とにかく否応無しの現実を「あるがままに」受け容れるしかない、その覚悟を決めるところからかえって前向きの積極的な生き方が展開していく、というのです。思いは過去へ(煩悩)も未来へ(妄想)も自由に飛んでいけますが、この身はいま、ここを離れるわけにはいきません。私たちは過去が読み込まれ、未来が織り込まれている、この「いま、ここ」を生き抜かなければならないのです。
「過去を追うな。未来を願うな。
過去はすでに捨てられた。未来はいまだ来たらず」(『中部経典)』)
大津波に遭遇した三束香織さん(気仙沼中学二年)は、幸い家族全員無事でしたが、自営業をしていた家を流されてしまいました。二ヶ月後に書かれた作文のなかで「未来はあると信じている。過去に戻れないのが人生です。今しかできない事があるはずです。何をしてても時間は過ぎる、今というこの時を楽しまなきゃ意味がない。そう考えると、少しの間だけ、辛い思いを忘れて過ごすことができるのです。」と綴り、多くのものを失ったけれど、唯一残されたこの「命」を一生懸命生きたいと結んでいます。
地震など人知人力を超えた天災はこれからも続くでしょう。そうではなくとも事件や事故、病気などの災難はいつ降りかかってくるかわかりません。朝、いつものように「行ってきます」と元気に出かけたのが、今生の別れとなってしまうことも、想定外ではありません。このように心配しはじめれば、結局その思いに押しつぶされて「いま、ここ」を生きることがおろそかになってしまうのです。
「死こそ常態 生はいとしき蜃気楼」と清冽な生き方を貫き通した詩人、茨木のりこさん(一九二六~二〇〇六)は、葬儀万般が嫌いだったそうで、その理由について「日々の出会いを雑に扱いながら、永訣の儀式には最高の哀しみで立ち会おうとする人間とは一体何だろうか?」と述べ、ひとこと《永訣は日々のなかにある》と鮮やかに言い切っています。生きる限りいかなる喪失にも遭遇することがあると腹をくくること、それがかえって「いま、ここ」を丹精込めて、丁寧に生きることに繋がっていくのです。
普門庵住職 見城宗忠